[教育] 正解のない私の教育観

皆さんはどう思われますか?

これはある授業で出されるレポート課題の解答を、すでに私のウェブサイトにアップしている件についてです。

後輩の方々からよく『先輩のレポートの解答、すごく勉強になります!ありがとうございます!』と言われます。それ自身はとても誇りに思い、『私の残したものがこうやって後世に影響を与えるのか』と何か哲学じみた感慨深いポエムを紡ぎたくもなるわけです(笑

見方を変えると、『解答を示してしまうと、考えなしにそれを写して提出する人がいるのではないか?』とも思われます。自分で考える力を損なう要因になりかねないとか、教養(General Education)を軽んじているのではないかとの声が聞こえてきそうですね。

しかし私の考えは違います。私の教育理念は『解答の一例を提供することで、その解答を疑う、もしくはその解答の先にある物理を感じ取り、ただの式変形からは得られない物理的直感を養ってほしい、そして研究へと邁進していってほしい』というものです。

ただ大変な数式をいじる作業に躓いて宇宙物理の楽しさを見失うことは避けたいのです。また大変なレポートを終えた達成感だけでは得られない楽しさを、解答をあらかじめ示すことで味わう余裕が生まれると、そう思っています。

『それはゆとりの考えだ、何時間かかろうとも昔の私たちは自分で考え抜いて答えを出してきた』というご指摘、痛み入ります。しかしそのような発言をする皆さんに反論させていただきたい。

『そういうあなたのそれはバブル時代の古い考えだろう?』

PC, スマートフォン, タブレットでいつでもどこでも、世界に容易に瞬時にアクセスできるようになった昨今、それに合わせて人間も進化していく必要があります。そのスピード感に合わせた教育手法というのが、真に求められているのではないかと、それが私の教育観です。

書籍や論文は電子化され、観測データはサーバ経由でインターネットを駆使していつでも閲覧できる、しかもそのデータ量も日進月歩で増加しています。溢れかえる情報、しかもそれが1分1秒毎に更新されるのが当たり前の環境であるならば、それに合わせて教育も日々更新していくべきだと、私は考えます。

 

引用: 2017年サラリーマン川柳、『ゆとりでしょ?そういうあなたはバブルでしょ?』

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